娘であることをやめるべきだ
数日前のテレビのお話。
離婚して子供をほったらかしていた母親が、娘が大きくなってから引取り、娘の嘘に腹をたて絶縁。
この娘さんが母親に謝罪し、仲直りをするという趣旨の番組だった。
母親の怒りは正しいのか?
嘘はいけないことだ。
それは誰だって分かっている。
この娘さんが友達と遊びに行くと言って、彼氏と一泊で遊びに行ったことは、良くないことである。
だがたったそれだけで娘に絶縁を言い渡し、娘をいなかったと思い込もうとするのは行き過ぎではないだろうか。
しかも嘘だと分かったのは娘のツイッターをチェックしていたからである。
監視ではないか。
母親は言った。
「怒りで手が震えて文字が打てなかった」
「子供を嫌いになるなんて本当にあるんだね」
「何しに来たの?あのバカ男と別れたから?」
娘にぶつける言葉として正しいのだろうか。
正直娘を心配しての行動ではないように見られた。
自分の思い通りにしたい
そう、母親は子供が自分の思い通りにならなかったことが我慢ならなかったのだ。
自分が抱く理想の子供像。そこから大きく外れた瞬間に、娘は自分のモノではなくなったのだ。こんなオモチャ自分のモノじゃない!ってね。
この母親にとって娘は、自分を飾る一つのアクセサリーに過ぎなかったのだ。
だから謝罪に訪れた日も娘の気持ちなど一切聞かなかった。
何で怒ってるのか分かっているのか。
どれだけショックだったか分かっているのか。
私のいない2年で困ったことなんてないだろう。
全部 「わたし」 なのだ。
わたし、わたし、わたし。
タカアンドトシがこれを見て言った。
「母親の気持ちを(娘さんも)分かんないもんかねぇ」
たった一つの嘘で娘をここまで傷つける母親の気持ちなど分かりたくもない。
「お前が悪いんだ!お前が私を傷つけたんだ!」
謝罪にきた娘に一方的にぶつけられる言葉。
これが子供の頃に離婚で娘をほったらかしにした挙句、娘のたった一つの嘘で絶縁した母親の正しい姿勢なのだろうか。
僕は両親が嫌いだ。
だが、僕がどんなクズでも見捨てたりはしなかった。
道を踏み外しても、躓いても、怒りながらもその手を放そうとはしなかった。
親とはそういうものではないだろうか。
そして父親の事を思う。
父親は娘の事を思い、娘を厳しく躾けたそうだ。
当然反発もされただろうし、喧嘩もしただろう。
でも見捨てたりはしなかった。
家出をしたのは娘さんの方だった。
母親は土下座までした娘を許したりはしなかった。
母親と呼ばれる、得体のしれない悪意の塊がとても気持ち悪かった。
この子はできるだけ早くこの、母親モドキから距離をとるべきだ。
じゃなきゃこの母親はまた怒りで娘を支配しようとする。